ゴミバコ

本や音楽のレビューがあるかもしれません。別に通とかじゃないです。

聲の形(映画)②【ネタバレ注意】

激しくネタバレ注意です

昨日の続きです。

ノートの扱い以外については、物語を短縮するために必要だったのかなー、でもなーって感じです。

原作にあった、登場人物一話分の一人ひとりのバックストーリーは映画ではありません。

佐原、植野、永束君については、将也との関係がまあわかると思うので、ギリ大丈夫ですが、真柴君…いきなり将也に近づいてきて…??ってなりますよね。原作では橋で将也を殴るのですが、映画ではただ将也に落胆するだけ。確かにバックストーリーなしだと殴る意味わかりませんよね。「将也の過去を知らず将也の近くにいるメンツ」という役割は永束君がもう担っているので、真柴君は川井っちがメンツに加わるきっかけぐらいしか存在意義が不明です。彼のアイデンティティである眉毛にも触れてくれませんでした。残念です。

そして問題の川井。原作でも他の登場人物に比べてはっきりしない感じでしたが、映画ではバックストーリーがないので、みつあみから髪をほどいて単にまた戻すという意味不明なイメチェン大好き女に。川井はあの性格だけど、皆から陰口言われて将也から「心の底から気持ち悪い」と言われて許せるレベルなのに、映画ではそれがないからただ単に嫌われていくだけ。むしろ誰か救ってあげてえぇ…。

あと佐原と植野がわかり合ういきさつもわからない…。先生が手話覚えたっていう描写もない…。

結弦が写真をはがすシーンはもっと時間かけて欲しかった。個人的に思うのですが、この作品で純粋に「泣ける」のはこのシーンではないでしょうか?言葉にしても伝わらない。言葉にしなくても伝わらない。どうすればいいの?という、ノートの意味も交えた大切なシーンです。伏線回収的な大事な場面では??聲の形=手話ではなくて、聲の形=言葉にできない気持ちの表れ って気づいて鳥肌がたった僕にとってはすごいシーンなんですが、どうなんでしょう?

あとは橋での硝子と将也の再開シーン。ここも原作ではもっと重いですよね?将也はボロボロ泣きながら話したり、硝子を抱こうとして肩に手を置くだけにとどめたり、「泣いて済むなら泣いてほしい」とか。「君に生きるのを手伝ってほしい」っていう言葉も将也が泣きながら言うから重みを増していたのに。多分原作では無かった文化祭での涙のシーンを際立たせるために泣かせなかったのだと思うのですが、ここは本当の意味で将也が罪を認め、硝子も自分の人生に意味を見出すシーンです。軽めにするのはしょうがないとしても変にラブコメチックなアレンジは見ていて残念でした。

逆になるほどいいなと思ったのは成人式パートをばっさり切ったことです。賛否両論だと思いますが「将也が罪を認め、しっかり生きていくと誓うまでを描いた」と思えば文化祭まででよかったと僕は思います。顔の×がとれて涙を流すという演出もなかなか素敵に思えました。

あとは硝子の声と作画はめちゃ良かったです。

この作品は聴覚障がい者の話でもないしいじめの話でもないと思っています。コミュニケーションの難しさと大切さが主なテーマで、設定自体はこれを際立たせるものなのではないでしょうか。耳が聞こえない、喋れないわけでもない私達は、お互いに意思疎通出来ているつもりでいて出来ていないよね?というメッセージは、全7巻の漫画の隅から隅まで散りばめられています。映画でこんなもんか~と終わらずに原作を何度も何度も読み返して欲しいです。

本当に調子こいてずらずら書いてしまって申し訳ないです。でも原作マジですごいので…‼