ゴミバコ

本や音楽のレビューがあるかもしれません。別に通とかじゃないです。

ぼくは麻理のなか/押見修造【ネタバレ注意】

2012年。上京後、友人作りに失敗したことが原因でまともに大学にも行けず、部屋に引きこもりがちな青年・小森功。唯一の楽しみは行きつけのコンビニで見かける、とある女子高生を尾行すること。だがある日、いつものように彼女の後をつけていると異変が起こる。女子高生は足を止め、後ろを振り返り、功の方を見た。その時少女は、わずかに微笑んでいた。功の意識はそこで途切れた。

翌朝、気付くと功は見知らぬ部屋にいた。そして鏡に映っていたのは1人の女の子、彼がひそかに「コンビニの天使」と呼んでいた女子高生・吉崎麻理だった。突然の出来事に困惑しながら「麻理」の姿のまま女子高生として過ごす功だったが、やがて彼は「本物の麻理はどこへ行ってしまったのか?」と気付く。

そんなある日、「麻理」のクラスメイト・柿口依が、「麻理」が外見は同じだが中身が別人となっていることに気が付く。

功は、依や「もう一人の功」の協力を得ながら、元に戻る方法を模索していく。

これはすごすぎます。僕は未だこの物語から抜け出せません。この記事もindigo la Endの「鐘泣く命」を聴きながら書いています。ドラマのオープニングテーマです。

実はネタバレ見てから読みました。そのうえで、度肝をぬかれました。

入れ代わりもの(本当は違うけど)ってポップに描かれることがほとんどですが、それを逆手にとって人間の心の醜さや不器用さ、愛しさが無理のない形で描かれています。中身が変わっていることに気づかれないということが、こんなにも悲しいことなのか。

展開自体は初めの方から想像ついた人も結構いそう。でもその持っていき方、感情の動かし方、表現力が本当にすごい。

登場人物は結構泣くんですけど、どれ一つ同じ泣き顔がありません。表紙を見ると絵はそんなに力入れてない?と思うけど中身はそんなことありませんでした。ごっつ絵上手いです。でも少年マンガみたいに細かく描き上げているわけではありません。当たり前ですけど。そんなことしたらストーリーの邪魔になってしまいますもんね。雰囲気としては「聲の形」が近いかもしれません。

オナニー→中出し=自分なんか消えてなくなれ、とか、一緒にうちを捜そう→うちなんか捜さなくていい、とか、細かく描きたいことはあるけれど、キリがないのでふんわりさせておきます。

あ、でも最後の麻理の「しかたないじゃん」が大きめのコマで描かれているのには触れておきたいです。心の拠り所をなくしたふみこが小森の力を借りて、心の拠り所ができたりなくなったりすることは「しかたのないこと」と認識できたことで麻理に戻れたのかな、と思います。依って名前もそういう意味もあるのかな?

最終的に思うのは「ぼくも麻理のなかに入りたい」ってことです。

特集:サビの最後にセンスがつまる

サビの最後の歌詞とメロディにセンスが爆発している曲を集めてみました。

「ゴメンネサヨナラ」ってすごい。謝っているのにサヨナラしちゃうんだ。全く謝る気ないよねこの人。それを最後にさらっと言っちゃう感じ、いかしてます。超クール。

これも初めて聞いた時はビビった。まず曲調全体が感傷的なんだけど厨二みたいに臭くなくて好き。かつ「今日は日が落ちる頃に会えるの?」っていう歌詞を最後に持ってきたセンスよ。この歌詞にこの歌の全てが詰まってるっちゃ詰まってる。日が落ちる頃にしか会えない存在ですか、僕は。って気だるい感情とメロディがリンクしてる。単なる悲しみや切なさだけじゃなくて苛立ちとか不安とか嫉妬とかちょっとニヒルな感じ。しかも「今日は日が落ちる頃に会えるの?」の直前のメロディがここのメロディとほとんど同じだから、変に強調されない。だからこそさらっと聞こえて、臭くならないんだと思う。ここのメロディだけ別物だったら全く印象は変わっていただろう。

「銀河の星屑になった気がした」

は??最高かよ。これはメロディの力を感じざるを得ない。「銀河の星屑になった気がした」って文字だけで読んでみると「なるほど」くらいにしか感じない。しかしこのメロディかつサビの最後に持ってきたことでまるで映画のエンディングで画面がズームアウトして人々を俯瞰するかのような憂いを感じる。それはつまり死さえも感じてしまう。大切な人を失って泣いてしまうような直接的な死ではなくて、それこそ自分の体から意識が離脱して、だんだんと世界が遠ざかっていくかのような儚さ虚しさ。

他にもいっぱいサビ終わりのハイセンスがあったような気がするので、もしかしたら第2弾やるかも。

本性/黒木渚

「超不自然主義」…「あなた、一年後に死ぬわよ」と占い師に言われてから二年。サイコはまだ生きている。その日がきっかけとなり、何も分からないまま占い師の仕事をしているサイコ。そして友人のエリは無機質のモノしか愛せない女。今は旦那と別れるといってうちひしがれている。その旦那とは、人間ではなく地蔵なのだ。こじらせてしまっている二人の女の行き着く先はどこなのか。

「ぱんぱかぱーんとぴーひゃらら」…その日暮らしをしている岩崎はある日、パチンコ大勝ちした。そんな岩崎に「お祝いに抜いてあげようか」と声をかけてきた女がいた。女は風俗嬢のアッコ。二人は一緒に住むようになるが、まともに愛し合っていられたのは束の間。二人の愛は奈落の底へ転げ落ちていく。

「東京回遊」…夫との生活に不満を持つ恵は、出会い系サイトで知り合った男に会うために東京へ向かった。だが、男とは思ったようにはいかず、飛び乗ったタクシーであてのない放浪をはじめる。結婚前女優になることを夢見ていた恵は、気のいい運転手との会話のなかだけで大女優になった自分を演じる。

ネタバレ注意です。

黒木さんの歌は前から聞いていて大好きだったんですけど、作家デビューしていらしたんですね。

歌の方が好きだったので、別に小説に期待していなかったんですけど、結構びっくりしました。かなり…すごくない?

作詞と作文って似ているようでかなり違うと思うんです。作詞はどちらかというと俳句とかに近いような。決められた文字数のなかで全て言葉で説明するのではなく、音やメロディにある程度たくして表現するっていうか。逆に作文は言葉しかないから、きちんと述べなくちゃいけないとか。黒木さんはどちらも双方の特性を理解して巧みに仕上げていてすごいと思いました。

でも「ぱんぱかぱーんとぴーひゃらら」を最後に持ってきちゃうか…胸糞が悪すぎました…っていうかえ?これで終わり?と思ってしまった。僕はもういっそアッコの新しいお店が実はやばくて仁さんがアッコの死体処理担当するかと思っちゃった。えげつなすぎるか。でも死体処理の話は出てくる意味あったのかな?仁さんは結局やってないっぽいし。

マネキン/YUI

出ましたねえ。

好きな感じです。最近年をとったら、ロックでもアニソンみたいな爽快なロックよりこういう重厚感あるロックの方が聴きやすくなってきました。エモとか最近は聴けないなあ。

出だしの刻みが特に好みです。あと歌詞も。「信じなくていいよ」っていいね。

動画のコメントを見ると前のYUIが~って人ちらほら見かけますが、そんなにかけ離れているか?highway chanceとか他にもこの歌の要素含む歌あったと思うけど。アルバム聞いてないのかな?まあジブンはフラフラの歌として聞いていますけど。

お久しぶりっつ

多忙のため更新できてませんでしたがまだ多忙です。

でも広告が出てしまったのが癇に障ったのでこれから記事にしたい事を羅列します。

YUIのアルバムレビューの続き

スティングのいい男感は異常

シャドバの絵が嫌いすぎる件

ファイトリーグについて

以上です。

美しい刃

最近は収まったようですが、ちょっと前までこの人の歌がyoutubeの広告で嫌でも耳に入ってきました。

この人の歌を聞いて思うのは、芸術はやっぱり「美しく」あって欲しいということ。

「綺麗な言葉で」とか「綺麗な色遣いで」ということではなくて、作る人はちゃんと「美しい」と思って作って欲しいということ。

芸術は自己表現の手段ですが、やっぱり「美」という意識は大切だと思います。自分が伝えたいことを吐露するだけならこうやってブログとかに書いてしまえばいい。わざわざ音をつけたり絵にしたり物語にする意味はないと思うのです。自分の伝えたいことに音やイメージやストーリーが絡み合って「美しく」なってはじめて芸術にする意味があると思うのです。

「等身大の歌詞」とか「素朴な歌詞」とかありますが、あれも美しく計算された「等身大」、「素朴」だと思うんです。作り手がどうすれば等身大に伝わるか、どうすれば素朴に伝わるか、こだわってこだわって成り立っているんじゃないのかな。例えばだけど、「愛してるの響きだけで 生きていける気がしたよ」も、なんか素朴に聞こえるけれど、他の言い回しだと全然雰囲気変わるじゃないですか。「愛してるって言われただけですごく生きた心地がした」「愛してくれて、ありがとう」etc…。他の言葉にすると、元の歌詞が持つ素朴で可愛くていじらしいような雰囲気皆無じゃないですか。そんな感じ。

汚いことを表現するときも、どうすれば見事な「汚さ」を表現できるかこだわりぬいてほしい。ミスチルの「フェイク」とか凄まじく美しい汚さ。あれは名曲だと思う。

もちろん逆も駄目だと思います。中身が伴わず綺麗な言葉だけを羅列するのは無意味ですよね。

作品を刃で例えるならば、その作品を見て人は何かしらを感じて胸を射られる。その刃が美しければ人は自分の胸に刺さったそれを手に取って、愛しいと思い、自分の糧にしようと思える。その刃が美しくなければ、顔をしかめながら刃を抜き取って、傍らに捨ててしまう。

もちろん作者本人に美しさを追求しながら作った、と言われたらそれまでなんですが、それはもう「僕とはセンスが合わなかった」としか言いようが無いですね。

前々から思っていたんですが私は何様なんでしょうね。

SUZURIをガチる

こんな感じのを売っています。前から描いた絵を適当にアップロードして適当に作っていたんですが、これからはちゃんとそれ用に絵を描いて背景透過して作っていこうと思います。

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